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今朝の日の出前の景色です。
もう、ここから太陽が出るよ〜って分かる景色。
色々な出来事も、そうなんじゃないかなぁ🌈と思いました。
過去の全てが今に繋がり、今が未来になる。
ふと、人生もグラデーションになっていて、予感も本能として備わっている❣️と。
また、見え方が面白くなってきました。
今日は龍ヶ崎に行ってきます。
その前に、90歳の義母宅を掃除機かけて少し話きいてきます。
今日もイイ日です🐯 🌈
生きるって、つまずいたり・ころんだり・泣いたり・怒ったり…
『それで、イイんだ!』と言えるようになりました。
きっと、その経験が「私もそうだったよ^^」と
誰かに微笑んで言える為に
体験しているんだ!
直ぐに解決するのでなく、
チャンと、そこにいる!
ことで観える景色がありますと伝えます。
そう、「私もそうだったよ^^」と微笑んで言える体験です^^
今では、すべてが宝物。
生きるって、決して”楽(らく)”じゃない。
でも、人生は”愉快だ”と、この頃思えるようになりました。
何ひとつ無駄なことってなくて、
結構、巧みに自分の人生が創造されていて^^
過去の全てが”今の自分”を造り、今の自分が未来を創っていく
そ~んな、当り前なことに気がつけたら『愉快』
わだかまりがなくて、気が軽い !
色々あるのはセットです。
”わだかまり”がチョット軽くなったら・・・
きっと、心の変化を愉しめる予感がします。
2019年も、少しずつ、綴りますね ( ◠‿◠ )Dora
以下の独り言は私が影響を受けた多くの言葉や体験です。
抜粋してお届けします。
人と人の繋がりが、ほんの一瞬の耳に・目にした言葉が、何かを変えていく
そんな出逢い・御縁によって、ステキな繋がりが始まる。
私達の存在、そのものが絶妙な何かで繋がっている (^^)
衝撃な言葉との出逢いでした。
☆誰かの声で起き上がれるように♪
コブクロの「桜」の詩の一節です。
声・詩・映画・感想…本の紹介&その一節を集めてみたくて、
10年ほど前にミクシィでトピック立てました。
みなさんの大切な一節、書かれていた本など
紹介しています(^^)
中学生の時、家庭環境がイヤで、今では想像もつかないと言われるけれど…
イヤでイヤで・・・何度も自殺したいと思っていました。
ある日、立ち寄った本屋で 出会わせてもらえたんです。
「筋肉が萎縮して動けなくなり、いずれは…」の
病気の18歳の女性の言葉
『みんな自由に生きられる、それだけで幸せなのに
なぜ、気がつかないんだろう・・・
私は生きたくても生きられないのに・・・』
衝撃な言葉との出逢いでした。
赤字で書かれた題名に、ココロがゆれた。
少年院からの手紙を集めて本にした、伊藤幸弘さんの著書である。
我が家にその本が来て5年になるだろうか?
自分も家庭環境がイヤで、親に甘えられず、強がっていた思春期。
酒におぼれ騒ぐ父が寝ているすきに、「ナイフで刺せば死ぬかな?」とよく考えていた。
紙一重で私は刺さなかった人生を歩んでいる。そう、紙一重・・・
虐待・自殺願望・未遂・殺人・・・
長男が中学3年の時、大きな反抗期がきた。
「この子を何で産んでしまったんだろう…」
本気で悩んだ。
その頃に、読んだ本です。
一部、抜粋を紹介します。
*******
「いのち」の軽い時代になりました。
これは時代がそうあるばかりではなく、
今、生きている私たち一人一人がそうなっているように思えてなりません。
時代に「いのち」の輝きが感じられないのもそのせいでしょうか。
(中略)
僕たちは目先の便利さや豊かさを追い求めるあまり、
大地や海などの生命の声を聞く力を失いつつあります。
子供の声が聞こえなくなっているのです。
(中略)
『僕たちはいらない人間ですか?』
自分の存在が確認できない…。世の中は本当に僕を必要としているのだろうか…。
そんな叫びのような言葉です。
*******
そこには、少年院で書いた、少年たちの手紙が書いてありました。
今、少年だけじゃないよね!
子供の時に傷ついたままで、大人になり…悩み…
2日前、酒を飲み、電話してきた友人が
「死にたい!!!」と電話の向こうで泣いていた。
数ヶ月前に自殺未遂をし、生還してきて、やっと立ち直ってきたところだった。
私「生きたくたって生きられない人もいるんだよ!
そんなこと言ったら、もったいないよ!」
友人「幸せなあなたには、わからないよ!」・・・
(略)
いつも同じ事を繰り返す彼女に、掛ける言葉が見つからない。
ちょうどその時、目に、耳にしたメッセージで氣付きました。
彼女は、今、私の電話に出ません。
でも、毎日、彼女に留守電とメールで・・・
「回りの人がどうであれ、出来事がどうであれ、私は○○が大好きだよ。」
思いを伝え続けようと決めました。
彼女だけでなく、私が進むべき道、見えてきました。
『ちいさなちいさな種』蒔ける自分でありたいと・・・
著者・・・オグ・マンディーノ 『十二番目の天使』より
マンディーノは私たちに、人生とは、自分に与えられているものがどんなものであれ、
それを用いて精一杯生きるためのものである、ということを教えている。
と、同時に、おそらく、天使たちは様々な形で常に私達の周囲に存在すること、
そして、それを認識することで、私たちはより強く、より前向きに生きられるようになる、
ということを示唆している。
とありました。涙なくしては読めない、感動の物語です。
ある時番組の中で、筋肉が萎縮していく病気の
大分県在住の19歳の女性から詩の投稿があり、番組内で紹介しました。
彼女は、もう自分の足で立つことも歩くことも出来ないけれど
地雷で足を失くした人は義足があれば歩くことが出来ると、
カンボジアへ義足を届ける夢をもっています。
その彼女の詩に曲をつけることが出来るといいなって思っていた時に、
東京の作曲家の方がゲストで来られ、突然番組中にそのことを話しお願いしました。
作曲家の方は即、了解してくださいました。
後に、作曲家の方とのお話で、
お母さんが足が不自由で子供の頃から母に対して・・・と涙を流されていました。
これも何かの縁です。引き受けますと東京へ帰られました。
そのことを知った、東京のシャンソン歌手の方が今度は、歌うことを引き受けてくださり、
昨日のパーティーでみんなが福岡に集まり実現しました。
私は、その歌を聴き彼女達の精一杯生きている光、
やわらかな愛に胸がいっぱいになり、インタビューの時に声に詰まり涙がでてしまいました。
私は、自分の伝えたいこととズレを感じ、この番組の仕事を何度か辞めたいと思っていました。
しかし、この仕事も神様からのプレゼントですよね。与えられたことをやる。愛を持ち光の方向へと。
なんて私はちっぽけなんだろう・・・
一人じゃなんにも出来ないのに・・・
私が。私が。って・・・勘違い野郎だった。
パーティーが終了しても席を立つ人がなく。みんな、ただ余韻にひたってました。
不思議な時間でした。
今日になって、素敵なパーティーに参加させてもらえて良かったと何人の方からも連絡をもらいました。
私は、愛を持ち、光の方へと精一杯進めてるだろうか。
考えてる暇はない、進もうと思いました。
何をやってもうまくいかない、幸せはいつも儚いし
死んでしまいたいといつも思ってた頃
あるお坊さんの講話を聞き人生が変わりました
「種を撒かなければ芽も出ないし花も咲かない。まして実も生るわけがない」
そうか、種をまいてなかったんだ!
それからむさぼるように毎日いろんな本を読みました
中学しか出ていないコンプレックスをまず克服しようと
毎朝1時間勉強をしました
自分のために勉強するなんて生まれて初めての事でした
その頃出逢ったのは「気合」という、やはりお坊さんの本でした
(手がつけられなくて16才でお寺に入れられてた位、昔から仏教にはご縁があるようです)
「起きたくない朝もエイヤっとふとんを蹴って飛び起きる」
お酒(生臭坊主!)や料理を口に運ぶ前に「うまい!」と口にだすと味も変わる、とか、
心がけで運を変える方法が書いてありました
今はたくさん情報も氾濫してますが、
「気」とかいう言葉もその当時は耳新しかったですね
そんな何気ないシンプルな一言で救われました
今はそんな経験を伝えていけるようになったらいいなとか思ってます
⑹☆誰かの声で、起き上がれるように・・・☆
昨夜の満月を見ながら思いました。
どんなに黒い雲が立ち込めようと、その向こうの月は
何もないように、流れる雲を、ユウユウと・・・
ただただ、見守っていてくれた。
解釈する事もなく、主張することなく、
ココロ・タマシイに沁みる時って、理解さえもいらない氣がします。
このトピックには、書き込みに対しての感想・意見なしで いきたいと思います。
あなたに沁みる出逢いがありますように・・・ドラえもんより
わたしは、自分が障害者である、と思っていません。
ひとりの人間として、他の人と同じように考え、発言をし、行動しているのです。
しかし、多くの人は、腕がないわたしを見て障害者と捉えます。
自分では障害者じゃないと思っていても、人はわたくしを障害者として見てしまう---
このギャップを現実のものとして受け止め、なおかつ健常者と同じレベルで生きようと、
開き直ることが出来るまでには相当の時間がかかりました。
どんなに不自由であっても、出来ないことは「出来ない」、出来ることは「出来る」と
自分の言葉で言わなければなりません。
他人が代弁するのでなく、自分の口で主張
しなければならないのです。
それはとても難しく勇気のいることなのですが、克服しなければいつまでたっても道は開けません。
わたくしは自分の意思をきちんと伝えられる人は障害者ではないと思っています。
伝えられない健常者は心の障害者だと思っています。
障害を持っている人は障害者というレッテルに甘んじてはいけないのです。
のり子さんの、マスコミを離れた普通の生活25年を経た、言葉は自然です。
この本を読んで、今の典子さんに会えたことが嬉しくなりました。
そして、結婚した頃のだんなさんの言葉は、すごいと思いました。
「典子は障害を持っていますが、その分はわたしが背負っていきます」
「平凡な家庭を築きます。おたがい頑固な面があるけれど、これからは、
まず私があやまることにします」
このだんなさんもあっての、典子さんの今なのかなと思いました。
中田英寿引退特別番組
『悔しくて悔しくて涙が止まらなかった…
でも、すべての人達に感謝したい…』
新聞番組より
メモを取らずには、いられなかった…
忘れたくないメッセージでした。
書き記したままを入力します☆
『覚悟』
頑張るとは 言わない
それは最低ライン
そこから 何が出来るか
自分の仕事を全力でやるのは 最低ライン
全力は怖いけれど 中途半端なら やるな!
ムリだと わかっていても走る
ピエロみたいだけど
走ることを やまてしまったら そこで終わってしまう
---ブラジル戦、ここでホイッスル---
グランドに横たわった10分間
こみあげる感情に身をゆだねた
仲良し集団でなく
覚悟がないと 自分は出せない
1ツ1ツ 勝負する
誇りを失わずに 生きる
****
なんだろう、沁みた・・・
生きていて偶然はない、必然。
私が、洗濯物をたたむため、テレビの前に座った。
これも私の人生の…神様の演出?
とても嬉しくて、氣付きのプレゼントをいただいた。
ピエロ・全力・・・一度きりの人生
1ツ、覚悟しました。
「転んだってイイじゃない、痛いのは生きている証拠だね」
短い言葉でも、心に沁みる言葉があります
今までは気が付かなかった言葉も、月日を重ねたことで、
その時、ピッタリなタイミングで、沁みる時があります。
そんな^^さりげない言葉達を…重ねたいと思います。
この頃、いろいろな人に語る言葉です^^
チビまるこちゃんのテレビ漫画での、おばあちゃんが言った一言。
力が抜けてて、自然に私の心に沁みました。
語るほどに、良い言葉だな~って、感じます
愛する夫も 愛する妻も 誰かに嫌われているから
気にせず 自然にいきていけ!
友人にみせてもらった『がばいばあちゃん』の本の一説です。
ノートに書きとめてきました。
友人との会話「この言葉が沁みる人生で良かったね^^ アジがあるね~」と笑いました
赤ん坊は、私たち親を選んで生まれてくるそうです。
この事を知ってから、「私たちはこの世に生まれたくて生まれてきたんです」と
どのくらいの人に語らせてもらったでしょう…
ある本の一説です。
分娩室で我が子を抱いた母親達は、
「私は、この子を生むために生まれてきたのかもしれない…」と思うそうです。
*********
この頃、我が子を見ていて思う。
「あ母さんにしてくれて、ありがとう」と…子に育てられていると
深い~って感じました。これが自然の法則なんですって^^
自分のお財布を、あたたかいお金が通過していくのを、最近、感じていたときに
出会った言葉でした。
「だから、通貨(つうか)なんですね」の友人の言葉に納得でした
たまらんです
忘れないように、書き留めました。
日本語が上手な外人さんの男性がやさしい笑顔で言っていました
自分探しを散々してきて、やっと、毎日、生きてて良かった!と
思えるようになったそうです。
『毎日 生きてて良かったと言えるように生きていたい』
今に生まれたきて良かったと思う毎日です
『ブスの瞳に恋してる』の本の最後にあったものです
著者・鈴木おさむさんが、妻・大島美幸(お笑いの森三中)にあてた・・・
ありがとうの手紙です
****************************************
妻へ
あなたと結婚した時、僕は30歳。
結婚前の僕は本当の愛を知りませんでした。
世の中には40歳でも50歳でも愛するということの素敵さに気付けない人が沢山います。
最近、その数が結構多いことに気付きました。
僕があなたに出会えていなかったら、きっと僕もその人達と同じだったでしょう。
愛するということに気付かせてくれてありがとう。
愛するということを教えてくれてありがとう。
朝方、仕事から帰ってきて、ソファーで僕を待ちながら寝てしまっているあなた。
その寝顔は僕のストレスで固まった気持ちを溶かしてくれます。
あなたとは、出来れば100年、200年、ずっと一緒にいたいけど、そうもいきません。
このままずっと夫婦でいれば、あなたといつかお別れするときは必ず来ます。
だから、その日が来るまで、あなたのことを一生懸命愛します。
折角、あなたが気付かせてくれたから。
ありがとう。
鈴木おさむ
******************
長く夫婦していると、忘れちゃいそうな大切なこと、思い出しました
折角、出逢って、子を授かり…(今、後ろで旦那が寝屁~した)
一緒に喜んで
そう!あなたに、ありがとう。
そして、よろしくね
この本を読んでから、洗剤のコマーシャルに出ている二人を見ているだけで
心がホッコリしちゃいます。
子供みたいに無邪気に生きてみようかな~~~
そうだ!本の中では、妻の寝顔を、ガッツ石松似の寝顔とありましたよ
⑺長男から借りた本から、メッセージを6つ、ノートに書き写した
いつも君は白い紙をもっている
それはほとんどの場合、計算のための用紙として使用される
しかし、もし君が望むなら
そこに現実を書き込むことが可能だ
意味のないこと、うそ
何でも書き込むことが出来る
そして、もちろん
破り捨てることも自由だ
良心とは 尺度である
君が自分のエゴに どれだけ忠実であるか
それを決定する尺度に他ならない
ひとつひとつ、大切に言葉として表わされている。
本の中の抜粋で、少しずつ、載せていきたいと思います。
私の覚え書きとして、一部、抜粋させていただきます。
*********以下は、私のひとり言です
本来、世の中の物事すべてが白黒はっきりするわけでなく、ことの善悪など、
すぐに正しい判断が下せるものではありません。
曖昧なこともそのまま受け入れ、ただ精一杯に生きてみましょう。
ほどよく肩の力も抜けて、生死や苦楽にとらわれることのない、
おだやかで清々しい日々がやってきます。
*******
曖昧(あいまい)って大切なことだな!とこの頃感じます。
自分の行動に「どうして?」と聴かれたり、自分でもなんでこの状況になっているのか、
自分で決めた道なのに、「何で?」に言葉として表現できなかったりすることがあります。
そんな時は、「今、考える時じゃないんだな~」と時間をおきます。(無期限)
あとから、「だからなんだ~!」と思うこと、良くありますね。
天地に我一人、自信を持って生きなされ、という解釈でもいいでしょう。
うまく生きられない、生き方がわからない……。
もし、そんなふうに迷ったときは、自分を見つめすぎることをやめて、無我無心で万物を慈しんでみましょう。
空がきれいだ、風がさわやかだ、子供たちの笑顔がすてきだ、そんなふうに世界を素直に感じとるだけで、
心というのは少しずつ満たされていきます。
*********
最近、少年野球の子供たちが、かわいい。こうした場所に自分がいること、
それだけで感謝なんです。
自分をみつめすぎることも無くなったように思う
最近、自然の営みに学ぶことがイッパイって感動が多くなった
それだけで、ありがたいです
春いっせいに咲き乱れる野の花も、観賞用に庭に植えられた花も、
春の訪れを知らせようと咲くわけでもなく、人の心を和ませるために咲くわけでもありません。
花は、ただその生命のおもむくままに、無心に咲き、無心に散っていきます。
だれのためでもなく、ためらいも不安もなく、そのすがたを誇ることもなく、与えられた場所で、
ただ、ありのままに精一杯咲くだけです。
人はあれこれとはからいながら生きることをやめられません。
「はからい」とは考えや配慮のこと。
「ああしたいこうしたい」「こうなるといいな」など意志によって行動することです。
花を見てごらん、そんな「はからい」も何もなく、ただ、ありのままに咲いているだけなのに、
みなそれぞれの色かたちで山野を彩り、私たちを慰め、楽しませてくれているではないか-----。
不平不満やちっぽけな「はからい」に惑わされず、ただ無心に生きることの尊さを教えてくれています。
***********
言葉がいらない自然の教えから、学ぶことが増えてきました。
見える世界も・見えない世界も^^特別なことではなくて自然なこと
そう感じました
迷いだの悟りだのと私にはもうどうでもよく、
まして名誉や利益などつまらないものにはかかわりがない------。
良寛のごとくとは言わないまでも、
せめて私利私欲に振りまわされない生き方をこころざしたいものです。
***********
人は、生活のため・家族のため…そして今日を生きるために働くことが必要。
この言葉のように生きたくても生きられない!そう感じてきたけれど、
いろんな歩みをしてきて、この言葉の私流の生き方が少~~~~し、分かってきた。
だから、これまでの迷いに感謝出来るようになってきた。
その経験があったから、この言葉が沁みることが嬉しい
かたよった考え方を捨てて、進むも退(ひ)くも自在に。
年だからとか、自分にできっこないなどという「決めつけ」から自由になると、
自分の可能性はもっと広がるはずです。
今すぐ○か×かを決めなくていいんだと思うと、気もラクになり、
vひとつやってみようかという気になりますよ。
***********
「どちらでもない」という空間があることを知ってから、私もラクに生きられるようになってきました。
「○かもしれないし、×かもしれないね」
・・・視野が広がるように感じませんか~
(少し前まで、白黒決めたがる私の性格でしたが…今では)
知ってしまったら、戻れな~い
自分を顧(かえり)みることをわすれぬように
禅では、日常のすべてが修行であり、日常の中や身近な足元にこそ真理があると考えます。
私たちの生活でも、日々の喜びはすぐ足元にあるのに、それに目を向けず大切にしないから、
手に入るはずの幸福を逃しているのかもしれません。
「照顧脚下」・・・ほら、まず玄関で靴をそろえましょう。
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昨日、テレビで「夢をかなえる象」をやっていた。本で、去年の暮れくらいに読んでいたので、
楽しみにしていました。ガネーシャからの最初の課題「靴をみがく」
靴って、自分を目的地まで運んでくれる魔法のジュウタンかもしれないと思った。
今、我が家の玄関の靴たちも、そろえてきました^^
あとで!じゃなくて”今”…今今今…チャンとここに在りますね
「雨もまたよし、晴れればまたよし」そんな何ものにもとらわれない心境をあらわすことばです。
「気が滅入りがちな雨の日も、あるがままに景色を見ればいつもと違って面白い、これに気づいて雨も楽しもうよ」
降っても晴れても、どっちもいいね!
*********
ピッタリなタイミングで、人生って出来ているって、この頃、思います。
寸分の違いも無く、私たちの身体の血液が運ばれているように…
地球の回転がだだ回り続けているように…
風を感じては流れていくように…
私たちが頭で考える「どうして?」に応えは出ないくらいに
「あるがまま」なんだろうな~~~ (って、何となく思いました)
今日をどう生きるかが最も大事
生とは?死とは?私たちは何のために生まれ、どう生きるべきなのか?
それを少しでもあきらかにすることが、人類すべてが永遠に問いつづける命題でしょう。
だからこそ「一大事」、最も重要なことであり、これをあきらかにするためにも、
また、あきらかにできずとも生をより実のあるものにするためにも、
人の一生に無駄にできる時間はないのです。
「一大事と申すは今日ただ今の心なり、それを疎かにして翌日あることなし」
だれでも「今日ただ今」を懸命に生きることはできます。それを忘れずに生きていきましょう。
***********
余命を宣告されて、死期を感じた友人との会話です。
友人「ドラちゃん、私も死んじゃうのかな~」
私 「今!いきてるじゃん^^
私たちだって、少し先のことなんて判んないんだよ^^
今!を生きようね^^」
自分が言った言葉を聴いて思った。「そのとおりだと」